ホームページに戻る
 

2004Racing Report

J-Style
S-Style
Racing
脇阪寿一 Round1 Round2 Round3 Round4 Round5 Round6 Round7    

Round7 鈴鹿サーキット

脇阪寿一

2004全日本GT選手権
第7戦

11月20〜21日、三重県・鈴鹿サーキットにてGT選手権最終戦となる第7戦が開催されました。最終戦へともつれ込んだチャンピオン争いにより、鈴鹿サーキットは多くのファンで埋め尽くされる華やかなレースとなりました。

今季はポイントシステムの規定が改定され、最終戦のみ予選とファステストラップのポイントは与えられず、決勝順位に対するポイントのみが加算されます。このため、最終戦でのチャンピオン争いは決勝レースのポイントのみがランキングを左右することになります。

そしてこのGT500クラスのチャンピオン争い、最終戦まで残ったのは、No.6 エッソウルトラフロー スープラの脇阪寿一/飯田章組と、No.1 ザナヴィニスモZの本山哲/リチャード・ライアン組、No.39 デンソーサードスープラGTのジェレミー・デュフォア/アンドレ・クート組の3組だけとなっています。チャンピオンのかかったNo.6は、他2チームの順位にもよりますが、とにかく優勝あるのみという緊張感あるレースとなりました。

脇阪寿一20日・公式予選

金曜日の小雨のぱらつく不安定な天候は一転し、快晴。気温は21度・路面温度24度。 今回は100kgものウエイトハンディを乗せていることから、重さとバランス、タイヤの持ちとの戦いも強いられることとなりました。

金曜日に路面がドライの状態で走行していないことから、序盤は色々なセッティングを試しながらの予選となり、15分が過ぎたあたりで1分56秒台をマークし上位につけるが、インターバルの間に大幅なセッティング変更を行うなど、決勝レースへ向けた調整がメインとなり、11番手で終了となっています。

続いて15:00〜始まった予選2回目。やや風が強くなり、開始時点での気温は20度・路面温度23度。1回目同様にマシンを微調整し、レースラップを0.1秒でもアップさせるための方向を探します。「もう少しポジション(決勝グリッド)をアップしたい気持ちもあったけど、レースラップが上がれば、取り返せると思う。」とコメントし、最終戦の公式予選を13番手で終えています。


脇阪寿一

21日・決勝日

厚い雲に覆われながらも日射しが降り注ぐ朝となり、決勝直前は最終コーナーから1コーナーへ向けて強い風が吹き荒れ、波乱のレースを予感させます。スタートドライバーは今季1年通し続けた勝利の方程式、飯田章。 定刻どおり14:00〜始まり、開始時点での気温は18度・路面温度22度。

1周のフォーメーションラップの後、ポールポジションのNo.36 WOODONEトムススープラ(土屋武士)がいいスタート切り、トップをキープします。No.3 G'ZOX・SSR・ハセミZ(エリック・コマス)、No.32 EPSON NSX(アンドレ・ロッテラー)、No.12カルソニックIMPUL Z(ブノワ・トレルイエ)の順でトップ4が1コーナーを回ると、その後ろではNo.22、No.18、No.8の3台が並んだまま1コーナーへ。行き場を失ったNo.18がスピンしたことで、後方マシンも混乱し、No.25、No.62らが巻き込まれて5台が大きくポジション落とすこととなります。

1周を終えてトップ3はNo.36、No.3、No.32の順。 速いペース展開でトップが争われ、5周目には300クラスの周回遅れが出始めます。

No.6 エッソウルトラフロー スープラ(飯田)は、中位を走行しますが、なかなかラップタイムを上げることが出来ず、8番手を走行するチャンピオン争いのライバルNo.1に追いつくことが出来ません。25周を終え、ピットイン。この時点でトップとの差が約1分と厳しい戦いとなります。最後の追い上げを期待し脇阪にステアリングを渡し、コースへと送り出します。29周目の時点で10番手。

脇阪は自己ベストを更新しペースを上げるが、34周目まさかのピットイン。
マシンをフロントからピットに納めてしまいます。脇阪は最後まで諦めず、マシンを降りずに修復を待ちますが、ピット内で首を横に振るチームスタッフの姿がモニターに映し出され、エンジントラブルによるリタイアとなり、悔しい最終戦となりました。


脇阪寿一

レース後のエンジニア中村氏は「ドライバー交代後、水漏れがわかり水温が上昇し始めていました。あのまま走行を続けるとエンジンが壊れるため緊急ピットインしました。 最後までレースをさせてあげたかったですが、どうすることもできませんでした。今回はウエイトにより車が重くタイヤに厳しいことから、“タイヤを摩耗させないこと”が一番の課題でした。予選が始まり、重さだけでなく今回の状況に車を合わせ切れていないことがタイムで見え始め、厳しいレースになることは分かっていました。決勝は厳しいながらも納得のいくレースにしたいと全員が思っていた矢先のトラブルによるリタイアは本当に残念。ですが気持ちは既に来年へ向け動き出しています。来シーズンもいいレースが魅せられるように、頑張ります。」と語り状況を説明しました。


 
このページの上部にジャンプ
JS STYLE COMPANY
JS STYLE COMPANY