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2004Racing Report

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Round6 オートポリス

脇阪寿一

2004全日本GT選手権
第6戦

10月30〜31日、大分県・オートポリスサーキットにてGT選手権第6戦が開催されました。ここオートポリスは昨年よりシリーズ戦に組み込まれ、各チーム比較的データ量の少ないサーキット。このため、各走行でどれだけマシンを詰めることが出来るか?また、ドライバーの力量も試されることになるレースとなりました。

コースの特長は、1周4.764kmと短くコース幅が狭いため、接触も多く抜きにくいとされています。第1、第2ヘアピンはスピンも多く、速く走ることに加えどれだけ接触を避け走行するかも勝敗を大きく左右します。裏を返せば、我慢することでチャンスもやってくるため、目の離せないレース展開が期待できるサーキットとも言えます。

また、日本一標高の高いサーキットとしても知られ、人間では大差ない空気の薄さが、繊細なレーシングカーでは、エンジンのパワーを左右することになります。
高地ではターボに比べ自然吸気式のマシンは不利なことから、今大会ではリストラクターを1ランク大きくできるという救済措置が適用されています。GT500クラスで適用されたのは、スープラ、ムルシエラゴ、フェラーリ550の3車種。


脇阪寿一

公式予選

30日の公式予選は、金曜日の雨によりセッティングを充分に詰めきれなかったとしながらも、1回目の残り5分を切ってからアタックを開始。

No.6 エッソウルトラフロー スープラが1分44秒031でトップをマークします。しかし直後にNo.38 auセルモスープラが1分43秒725と、このセッションで唯一1分44秒を切るタイムをマークして逆転され、No.6は2番手で終了となります。

空一面に広がる雲の間から時折日が差しはじめた公式予選2回目。
1回目では一部濡れていた路面も完全にドライとなり、やはり残り10分を切ってから本格アタックを開始。
ライバルマシンの状況を見ながら、No.6は3分を切って最終アタック。いきなり1分43秒050とトップタイムをマークします。しかし、1回目同様直後にNo.38に巻き返され、続けてアタックするもタイム更新はならず2番手フロントローで公式予選を終えています。

予選終了後、脇阪は「うちのチームとしてはベストのポジションだと思う。ウエイトハンデは重くタイヤには辛いが、優勝をねらっていきます。」と力強いコメントを残し、ピットをあとにしました。


脇阪寿一

決勝レース

31日決勝日。天候は変わらず雲に覆われ、スタート直前の気温は17度、路面温度は16度。14:00に予定通りスタート。1周のローリングの後ペースカーがピットロードに退避しますが、後方車両の隊列が乱れていたためスタートシグナルは点灯せず、さらにもう1周して正式スタートとなりました。このため周回数は2周減算され、63周のレースとなっています。

スタート直後の1コーナーでは、No.1 ザナヴィ ニスモZ(本山哲)がいいスタートを切り、No.38 auセルモスープラ(荒聖治)を交わしいったんトップに立ちますが、直後にコースをはみ出し後退。ポールスタートだったNo.38もコース外に飛び出し、クラス最下位まで落ちてしまいます。これでトップを奪ったのはランキングトップのNo.6 エッソウルトラフロー スープラ(飯田章)。2番手にNo.25 ECLIPSE ADVANスープラ(織戸学)、3番手にNo.100 RAYBRIG NSX(加藤寛規)がつづきます。

翌周、トップをいくNo.6は温まりやすくタイヤパフォーマンスを発揮するまでが早いヨコハマタイヤを履くNo.25に前を許し、序盤をリードされます。しかし、飯田の冷静なステアリングさばきと安定した走りは、10周を過ぎたころからその差を確実に縮め、 20周目にはタイヤが苦しくなり始めたNo.25をパスし再びトップに立ちます。すぐ後ろにはNo.1、No.39がつけ序盤から激しいトップ争いが繰り広げられることとなりました。

これで優位に立ったかに思えたNo.6でしたが、23周目予想以上にフロントタイヤの磨耗が激しくコースアウトしてしまい、No.25とNo.1にパスされ3番手に後退、No.39にも直後に迫られてしまいます。そして、次の周には早くもルーティン(所定)のピットイン。タイヤ交換と給油、ドライバーは飯田章から脇阪寿一へと交代します。

No.6の最大のライバル、ランキング1ポイント差のNo.1は、その4周後にピットイン。次の周にはNo.39もピットに入り、No.1とNo.6の前でコースに復帰します。しかしタイヤの温まっている脇阪は1コーナーでこの2台をかわし、No.6(脇阪寿一)、No.1(R.ライアン)、No.39(J.デュフォア)の順で立ち上がっていきます。トップのNo.25は30周が終わったところでピットイン。No.6とNo.1の直前で復帰しますが、1コーナーの手前パスし、No.6、No.1、No.25(D.シュワガー)の順となり、No.6がトップに立ちます。

しかし32周目には再びNo.25がトップを奪取し、No.6と No.1はサイド・バイ・サイドの白熱した戦いを魅せますが、300クラスのトップ集団に前を阻まれ3番手に後退。この時点でトップに立っていたNo.35イエローハットYMSスープラ(脇阪薫一>服部尚貴)が34周目にピットに入り、これでトップからNo.25、No.1、No.6の順となります。

43周目に今度はNo.1がNo.25をパスしてトップにたち、タイトルを争うNo.6は思うようにペースを上げることが出来ず、後方からNo.39に迫られる状況に。この頃から路面温度は30℃以上まで上昇し、トップ4台が1分47秒台前半で走行する、よりタイヤに厳しい戦いとなりました。さらにその後方からNo.36 WOODONEトムススープラ(M.アピチェラ>土屋武士)とNo.12カルソニックIMPUL Z(井出有治>B.トレルイエ)も1秒差までつめより5台での2位争いとなります。場内が固唾を飲んで見守るなか、54周目、No.6が第2ヘアピンで痛恨のスピン。原因は後方に迫っていたNo.39のノーズがNo.6のリアバンパーに追突するように接触、バランスを崩し押し出される形となります。

No.6はNo.12の後ろ、10秒以上の差をつけられ6番手で戦線復帰。残り2周を切ったところでNo.6はNo.36を抜き4番手まで順位を上げますが、追い上げもここまで。前方では63周を終えたNo.1 ザナヴィニスモZがトップでチェッカーを受け、2位はNo.39 デンソーサードスープラGT、3位はNo.25 ECLIPSE ADVANスープラとなっています。 これでドライバーチャンピオン争いは、No.1 本山哲/ライアン組が69ポイントでトップに立ち、No.39 デュフォア/クート組が58ポイント、No.6 脇阪寿一/飯田章組が57ポイントとなっています。


脇阪寿一

最終戦はこの3台がチャンピオンを賭けて戦うこととなりますが、ウエイトハンデはNo.1が120kg、No.39が70kg、そしてNo.6が100kgとなっています。

この差がどの様に勝利を左右するのか?また、トップNo.1との12ポイント差を考えるととにかく優勝あるのみという背水の陣に、チームはどの様な作戦で鈴鹿へ乗り込むのかが見所となります。




 
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