今日は鈴鹿の新装イベント。
鈴鹿の歴史を造ってこられた諸先輩方も招待されていましたがその中に我師匠、松本恵二さんが。
連絡は何回か取っておりましたが久しぶりの再会です。
嬉しかったです。
イベント中、突然電話が。
「あのなぁ、ジュンイチけ!?友達連れて鈴鹿来てるさかい!!今、コントロールタワーの下にいるさかいすぐにマーシャルカーを用意しろ!!新しいコースを見に行くさかい!!」
※付き合いは長いのですが、未だにジュイチとは呼んでもらえません。
この突然、とてつもない要求。
昔と何も変わっていません。
すぐに手配。
サーキット側、中野直樹も松本恵二さんの要求には迅速に対応。
シビックレースまでの数分を恵二さんに開放。
満足頂いた様子に一安心。
中野君と共に胸をなでおろしました。
「大きなったな!!ほななぁ、まだまだしっかり頑張れよ!!近いうちに京都へ来たらええわ。」
と残し帰られました。
思い出します。恵二さんとのものすごく濃かった数年間。
いっぱいしばかれましたし、いっぱい褒めていただきました。
そこにはたくさんの愛がありました。
僕が4輪にデビューした95年、戸田レーシングの戸田さんにお世話になっている頃からアグリさんに引き渡されるまで毎日、24時間と言っていいぐらい恵二さんと過ごさせていただきました。
シゲもですが。
昼、夜は恵二さんの運転手。たまに週末はレーシングな運転手。
僕はこの頃にレーシングドライバーとしての物心がつきました。
この人からすべてを盗みたいと思いました。
ですから今僕のレースに対する考え方、ドライビングスタイル、人間形成すべてがこの頃恵二さんより培ったものです。
脇阪寿一の父は啓行ですが、レーシングドライバー脇阪寿一の父は恵二さんです。
当時の恵二さんの教えをいくつかご紹介しましょう。
※岸本・・・当時の童夢の名物エンジニア岸本さん。恵二さんの右腕
●僕が「アンダーステアーで曲がらない。インに着けません。」と伝えた時、帰ってきた教えです。
松本:もう少し手前からハンドルを切れ!!なぁ、岸本!!
岸本:この車は天才が乗れば速く走れるようにセッティングしてあるから。
●鈴鹿のS字が曲がりません。どうすればよいですか??
松本:お前の侵入スピードが遅いからダウンフォースが足らずにまがらへんねん!!もっとスピード上げて行かんかい!!
岸本:いったらんかい!!ば~っていって、そこでハンドルをズバ~ッと切ってみ!!
曲がるさかい。
●松本:ええか!!F3ぐらいセッテイングして勝ってもしょうが無い。このカテゴリーは若者を育てるカテゴリーや。セッティングはこのまま、お前で何とかしてこい!!そのぐらいできないなら辞めてしまえ!!この先、生き残れる訳がない。
岸本:そんなもん、恵二がああ言っとるからお前が頑張らなどうすんねん!!
辞めんのか!?
●松本:何のカテゴリーも鈴鹿S字の一個目、130R、富士の100R、菅生の3コーナーは全開やさかいに!!
岸本:昔からあの人はああ言うけど、全開で行かれへんかったらピット帰ってきて俺がしばかれんねん!!たまらんで!!お前は様子見て行けよ!!車がバラバラになったら俺がまた造らなあかんねんから。頼むぞ。ほんで、組み上げるの遅かった俺がしばかれんねん。
●プロになってから10年食えて初めて1流や。それまでは2流。
●もてたかったら速く走れ。速く走る事が出来る人間が偉くてかっこいい世界や!!
●すべてのライバルに普段からお前の速さを印象ずけろ!!お前を敵と思わすな!!
ライバルを上から見れる環境を自分の力で造り上げろ。
ほんまはもっともっとあります。
魔法のタイヤと言う物もありました。僕のタイムが出ない時に恵二さんが装着してくださるタイヤ。同じタイヤなのですが、恵二さんが魔法のタイヤと言えばグリップする気になりタイムが上がりました。もちろんグリップせずにそのままクラッシュバリアと言う事も多々ありました。その時は逆にほめられましたね。限界まで行ってる証拠だと。
ただ聴くだけだと何個かは無茶に感じるかもしれませんね。
ふざけてるように聞こえる所もあるでしょう。
でも、この2人がかもしだす独特の雰囲気、プレッシャー、そして指導。
僕がうまく表現できてないかもしれませんが、解る人にはわかると思います。
取り方によってはそうでない。すべてにおいて愛があり、車では無く僕を速く走らせるために必死でした。
僕にとっては今でも心にとめている大切な言葉、教えでありシーンです。
可哀想に僕が見ていると今の若い子にはこのような環境が無いですよね。
一番学ばなければいけない時期に周りがすべてをお膳立てして・・・・・。
僕はこのような教えを受けられた事を自信に苦しい時も負けずに頑張れています。
久しぶりの再会で、またものすごく大きな勇気をもらえた気がします。
いつまでもお元気でいてください。
鈴鹿の歴史を造ってこられた諸先輩方も招待されていましたがその中に我師匠、松本恵二さんが。
連絡は何回か取っておりましたが久しぶりの再会です。
嬉しかったです。
イベント中、突然電話が。
「あのなぁ、ジュンイチけ!?友達連れて鈴鹿来てるさかい!!今、コントロールタワーの下にいるさかいすぐにマーシャルカーを用意しろ!!新しいコースを見に行くさかい!!」
※付き合いは長いのですが、未だにジュイチとは呼んでもらえません。
この突然、とてつもない要求。
昔と何も変わっていません。
すぐに手配。
サーキット側、中野直樹も松本恵二さんの要求には迅速に対応。
シビックレースまでの数分を恵二さんに開放。
満足頂いた様子に一安心。
中野君と共に胸をなでおろしました。
「大きなったな!!ほななぁ、まだまだしっかり頑張れよ!!近いうちに京都へ来たらええわ。」
と残し帰られました。
思い出します。恵二さんとのものすごく濃かった数年間。
いっぱいしばかれましたし、いっぱい褒めていただきました。
そこにはたくさんの愛がありました。
僕が4輪にデビューした95年、戸田レーシングの戸田さんにお世話になっている頃からアグリさんに引き渡されるまで毎日、24時間と言っていいぐらい恵二さんと過ごさせていただきました。
シゲもですが。
昼、夜は恵二さんの運転手。たまに週末はレーシングな運転手。
僕はこの頃にレーシングドライバーとしての物心がつきました。
この人からすべてを盗みたいと思いました。
ですから今僕のレースに対する考え方、ドライビングスタイル、人間形成すべてがこの頃恵二さんより培ったものです。
脇阪寿一の父は啓行ですが、レーシングドライバー脇阪寿一の父は恵二さんです。
当時の恵二さんの教えをいくつかご紹介しましょう。
※岸本・・・当時の童夢の名物エンジニア岸本さん。恵二さんの右腕
●僕が「アンダーステアーで曲がらない。インに着けません。」と伝えた時、帰ってきた教えです。
松本:もう少し手前からハンドルを切れ!!なぁ、岸本!!
岸本:この車は天才が乗れば速く走れるようにセッティングしてあるから。
●鈴鹿のS字が曲がりません。どうすればよいですか??
松本:お前の侵入スピードが遅いからダウンフォースが足らずにまがらへんねん!!もっとスピード上げて行かんかい!!
岸本:いったらんかい!!ば~っていって、そこでハンドルをズバ~ッと切ってみ!!
曲がるさかい。
●松本:ええか!!F3ぐらいセッテイングして勝ってもしょうが無い。このカテゴリーは若者を育てるカテゴリーや。セッティングはこのまま、お前で何とかしてこい!!そのぐらいできないなら辞めてしまえ!!この先、生き残れる訳がない。
岸本:そんなもん、恵二がああ言っとるからお前が頑張らなどうすんねん!!
辞めんのか!?
●松本:何のカテゴリーも鈴鹿S字の一個目、130R、富士の100R、菅生の3コーナーは全開やさかいに!!
岸本:昔からあの人はああ言うけど、全開で行かれへんかったらピット帰ってきて俺がしばかれんねん!!たまらんで!!お前は様子見て行けよ!!車がバラバラになったら俺がまた造らなあかんねんから。頼むぞ。ほんで、組み上げるの遅かった俺がしばかれんねん。
●プロになってから10年食えて初めて1流や。それまでは2流。
●もてたかったら速く走れ。速く走る事が出来る人間が偉くてかっこいい世界や!!
●すべてのライバルに普段からお前の速さを印象ずけろ!!お前を敵と思わすな!!
ライバルを上から見れる環境を自分の力で造り上げろ。
ほんまはもっともっとあります。
魔法のタイヤと言う物もありました。僕のタイムが出ない時に恵二さんが装着してくださるタイヤ。同じタイヤなのですが、恵二さんが魔法のタイヤと言えばグリップする気になりタイムが上がりました。もちろんグリップせずにそのままクラッシュバリアと言う事も多々ありました。その時は逆にほめられましたね。限界まで行ってる証拠だと。
ただ聴くだけだと何個かは無茶に感じるかもしれませんね。
ふざけてるように聞こえる所もあるでしょう。
でも、この2人がかもしだす独特の雰囲気、プレッシャー、そして指導。
僕がうまく表現できてないかもしれませんが、解る人にはわかると思います。
取り方によってはそうでない。すべてにおいて愛があり、車では無く僕を速く走らせるために必死でした。
僕にとっては今でも心にとめている大切な言葉、教えでありシーンです。
可哀想に僕が見ていると今の若い子にはこのような環境が無いですよね。
一番学ばなければいけない時期に周りがすべてをお膳立てして・・・・・。
僕はこのような教えを受けられた事を自信に苦しい時も負けずに頑張れています。
久しぶりの再会で、またものすごく大きな勇気をもらえた気がします。
いつまでもお元気でいてください。
コメント ( 14 )
本当に身の為になりますよね!!
吸収力も良いし
来週は新装の鈴鹿!楽しみにしてます
投稿者: ミッチー | 2009年04月12日 23:08
日時: 2009年04月12日
2輪のライダーとのトークバトルでは、裏での"ピリピリ感"の話や、ブレーキ遅らせたら砂場へ直行の話などなど…かなり笑わせていただきました(笑)
来週はいよいよ新生鈴鹿の開幕!! すべて記憶されている"ハズ"の鈴鹿優勝したレースに加えられるよう頑張ってください!!
諸事情により陰ながら応援してます!?
ちなみに…
"シビックレース間での数分を……"
ステップワゴンで出かけてるのを友人が目撃しましたが、コースを見に行かれてたんですか??(それとも別人??)
投稿者: syogo | 2009年04月12日 23:16
日時: 2009年04月12日
大変参考になりました。
敵と思わせるなってのは凄い話。
やっぱ勝負の世界の男達の話は真剣度が違うですね
投稿者: TUGARUYA | 2009年04月13日 00:43
日時: 2009年04月13日
投稿者: ルフト | 2009年04月13日 08:10
日時: 2009年04月13日
87年かなぁ~キャビンのスポンサーで走っていたの。
お元気でよかったです。
投稿者: まなぶ | 2009年04月13日 09:36
日時: 2009年04月13日
投稿者: ?? | 2009年04月13日 09:41
日時: 2009年04月13日
でもきっと言われた方も「えーっ!」って言いながら「せなしゃーないなあ」って思えるんですよね。
すんごくわかります。
自分の「心」を鍛えてくれる人。
なかなか「褒め上手」は難しいけど、やっぱりそれが1番なんだろうな。
今日も寿一くんから素敵なキズキ(気づくこと)をいただきました。ありがとう。
あっ、鈴鹿オープニング。お疲れ様でした。
大きく明るくなって、取り組むテンションもあがるでしょうね。
GT戦、楽しみにしています!
投稿者: なおみん | 2009年04月13日 10:31
日時: 2009年04月13日
恵二さんの教えをこれからは寿一さんがみんなに伝えられるといいですね。
投稿者: YOKO | 2009年04月13日 11:03
日時: 2009年04月13日
熱い走りの源はここにあったのですね。
本当に寿一さんのまわりには
温かい方々がたくさんいらっしゃるのね!
未来のレーサーには寿一さんから愛のムチを☆
投稿者: ゆち | 2009年04月13日 12:30
日時: 2009年04月13日
でも名前覚えてもらえないんだ~(笑)
投稿者: uk | 2009年04月13日 13:44
日時: 2009年04月13日
投稿者: 匿名 | 2009年04月13日 18:44
日時: 2009年04月13日
投稿者: たなちゅー | 2009年04月13日 22:22
日時: 2009年04月13日
星野さん、中島さんよりも、私は恵二ファンでした。あの赤と黒のヘルメット、よかったなぁ。
当時は今と違ってTVでレース番組はほとんどなかったので、引退のときの事は知らないのですが、スポンサー集めに苦労されながらレースされてましたよね?真っ白なフォーミュラーが寂しかったです。(スポーツボックスがスポンサーやったかな?)古いビデオには残してるけど……
今はどうされてるのですか?星野さんや中島さんのように監督としてレース界に帰ってきてくれないかなぁ。スリーショット、いや国さん入れたフォーショットが見てみたいです。
寿一さんが恵二さんの弟子やったとは知りませんでした。恵二さんがキャビンレーシングで走ってた頃は中学生ぐらいじゃあないですか?
また恵二さんネタがあったらブログに書いてください。
では、週末の鈴鹿がんばってください。いい走りを、そして優勝カップを恵二さんに見せてあげましょう。
私も鈴鹿に応援に行きます。(今回は雨ではなさそうでホッとしてます)
投稿者: ケンジー | 2009年04月15日 00:21
日時: 2009年04月15日
大好きでした。今も彼の引き伸ばした写真にサインをいただいたものを部屋に、私の目の前の位置に貼っています。
私の夢のような人でした。
ずっと、ずっと 走ることに生きてください。私の若い時の思い出は、いつも 松本さんなしでは語れないくらいのものでした。いつも勇気をもらい、頑張れました!
投稿者: 啓子 | 2011年09月23日 01:45
日時: 2011年09月23日